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質問

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木を見て森を見ない  というのと、
1を見て10を判断する  というのは
意味・ニュアンスとしてどう違いますか。

同僚が一つの書類(それが間違っていた)を見て
全体を判断してしまったことがありました。
それに対して、
木を見て森を見てないという人と、
1を見て10を判断してはだめという人がいて、
そぼくにどう違うのだろうと思いました。
教えてください。

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2011-02-19 07:08:15
  • 0

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「木を見て森を見ない」は、目の前の1つのことだけに目を向けて、その周囲にあるほかの木々をまったく見ていないという意味です。
その人が正しく見ているのは目の前の1本だけ。それ以外の木のことは、「すべて間違った見方」で見てしまっています。

「1を知って10を知る」は、最初に一言指示を受けただけで、相手の指示しようとしている内容がすべて分かってしまうということです。
この場合、その人は最初の指示を正しく掴んでいるだけでなく、これから指示されるであろう残りすべての内容まで「すべてしっかり正しく」解釈できています。

この質問のケースでは「木を見て」といった人のほうが正解です。

  • 回答者:匿名 (質問から15時間後)
  • 0
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>木を見て森を見ない 

日本に来た外国人を見て、

その外国人が悪さをしたとします。

全ての外国人は悪い人だ。
と、判断することです。

>1を見て10を判断する

外国人の買い物を見て、
海外では、日本のこのような物が売れる。

と、思うこと。

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「木を見て森を見ない」は、目の前の事だけで判断し
全体を見ていない事ですよね。

「1を見て10を判断する」は、一部を見ただけで全体が
解ったように思い判断をしてしまう事ですよね。

どちらも、思い込みが入り込んでしまうと間違った判断を
してしまうという事でしょう。

「木を見て森を見ない」は、経験不足の人が陥りやすく
「1を見て10を判断する」は、過去の経験にとらわれて
しまう傾向があると思います。

  • 回答者:ジョシュア (質問から9時間後)
  • 0
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木を見て森を見ない  
一部だけで判断し、全体を見ていない。

1を見て10を判断する
一部だけを見た全部わかったようにおもう。

  • 回答者:匿名 (質問から6時間後)
  • 0
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同じ事がらに対しての反応なので、恐らく使われた意味は一緒です。
しかし、使い方が間違っています。

>木を見て森を見ない
「木を見て森を見ず」が正しい慣用句ですが、
一本一本の木に目を奪われて、森全体を見ないこと。
ものごとの些末な一面に拘り過ぎて、本質や全体を捉えられないことの喩え。
否定的な意味合いも用途も合っています。

>1を1を見て10を判断する
「一を聞いて十を知る」が正しい慣用句(孔子「論語」)で、
物事の一部分を聞いただけでその全体を理解できること。理解が早く聡明であること。
という、良い意味で使われるので、ここで使いのは間違っています。

日本人相手なら意図を汲み取るので意味は通じはしますが、テストでは×ですね。

  • 回答者:次は突っ込みを入れましょう (質問から54分後)
  • 2
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木を見て森を見ない  は細部しか見ずに全体を把握しないことです。
1を見て10を判断する  はそのまんまです。細部を見ただけで全体を判断できる能力があればこそのことです。

  • 回答者:匿名 (質問から50分後)
  • 0
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